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桜と花桃の庭園

菩提寺は花の名所、エドヒガン桜と花桃が綺麗です。
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フクジュソウが咲きました



「フクジュソウ根雪の引くを待ちて咲く 
         春の日差しを抱えるように」

フクジュソウ(Adonis amurensis)の種小名は、アムール地方の意味であり、いかにも寒さに強そうな名前ではある。根雪の下で既に大きな蕾が出来ており雪が融けると早速花を開く。このように、雪国には根雪に守られて寒い冬を過ごす植物がたくさんあり、雪の多い年ほど美しい花を咲かせる。写真は栽培株で、長良川源流域では残念ながらフクジュソウの自生を見たことがない。


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神仏習合

山の暮らし案内人 楢童(しゅうどう)さんの ちょっと長い独り言
    西方録30 (神仏習合)

(1)霊峰加賀白山
随分前に廃校となった母校の中学校に「白尾を開いた泰澄の教えも高し尾崎丘・・・・」で始まる応援歌があった。また、その校歌は、「白尾より流るる水は 長良のもといああ水清く・・・」で始まる。白尾は郷土の霊峰白尾山(1,613m)、泰澄は養老年間に白尾山を開き神仏習合の祖と呼ばれる泰澄大師のことである。そして白尾山は、白山の尾であることから付けられた名前であるという。
 日本三大霊山の一つとされる白山(2,702m)は、当地にも深い関係を持つ信仰の山である。日本海を望み冬に豪雪をもたらす厳しい北西の季節風に立ち向かうように聳え立つ白山は、1年の過半の期間その名に違わない真っ白で美しい山体を見せる。余談であるが当地ではこの白山を「加賀の白山」呼ぶ。同じく東の国境に立つ御岳を「木曽の御嶽山」と呼ぶから美濃・飛騨の人たちは謙譲の精神が豊かだったかもしれない。
 白山信仰の歴史はいつ頃に始まるのだろう。加賀一ノ宮である白山比咩神社(石川県石川郡鶴来町)の由緒には、「遠く神代に霊峰白山を神体として白山比咩大神(菊理媛尊)を奉斎したのに始まり、崇神天皇7年(約二千八十余年前)、神祠が創建された。」との記述があるから、有史以前から神としてあがめられていたのであろう。
 白山は、奈良時代になって泰澄が開山したことにより全国的な霊山となった。泰澄が神仏習合の概念に基づいて理論構築した白山信仰は、隆盛を極め、加賀、越前、美濃三国を始めとして全国に広まった。白山信仰の中核となる神社は、白山山頂にある「白山奥宮」、石川県の白山比咩神社、福井県の平泉寺白山神社、岐阜県の白山長滝神社である。それぞれ、白山山地を水源とする取手川、九頭竜川、長良川流域に鎮座し布教の拠点とも言うべき「馬場(ばんば)」を設けた。

(2)神仏習合と泰澄
 大辞林(三省堂)によれば、「神仏習合」とは、「日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神がまつられたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(すいじやく)説が流行し、両部神道などが成立した。神仏混淆(こんこう)。」とある。
 この「日本古来の神と外来宗教の結びつけ」は古くから行なわれた。神仏習合の祖は「泰澄」といわれる。泰澄の墓がある大谷寺(福井県越前町)の資料によると、「泰澄大師は飛鳥時代(7世紀末)、越前国麻生津(現 福井市三十八社町 泰澄寺)に生まれました。 神童といわれた大師は11才の時、夢のお告げで越知山大谷寺に登り、苦行難行の後、ついに仏の教えを悟ったといいます。 泰澄大師の名声は都まで届き、21歳の時、朝廷は鎮護国家法師に任じました。 その後、36才の時、2人の弟子、臥(ふせり)行者・浄定(きよさだ)行者と共に霊峰白山を開いたとされています。養老7年(722年)、元正天皇のご病気を祈祷によって平癒したことにより、神融禅師の号を賜わりました。 神亀2年(724年)、行基が白山を訪ね本地垂迹の由来を問うたことより神仏習合説の祖と呼ばれています。」と書かれている。また、岐阜県の資料では、「白山信仰とは、仏教に基づく十一面観音信仰と神話の神々を結びつけた日本独自の宗教であり、神仏習合の先駆けです。白山信仰の開祖、泰澄(たいちょう)は、日本では古来より神が宿るとされてきた木で仏像を彫ることにより、神仏習合の思想を表しました。」とある。
  平安中期には「本地垂迹説」が台頭してくる。菩薩や諸天が神と化して跡を垂れて現れるというのでる。日本の神々は、仏教の神仏が仮の姿で現れるものとされる。本地垂迹説は、仏が本地であり神は仏の化身として人々の前に垂迹する考えである「仏本神迹説」から発展し、その逆の「神本仏迹説」も生まれる。神祇信仰を尊ぶ立場からすれば当然生まれてくる考えである。
(3)廃仏毀釈
 江戸時代に入ると国学の発展とともに高まり、藩によっては仏教の弾圧も始まっていた。こうして幕末には、尊王攘夷派を中心に水戸光圀の大日本史などが読まれ、皇国史観が著しく進展する。王政復古を成し遂げた明治政府は、「神仏分離令」を発する。神仏分離令は、仏教を弾圧するものではなかったが、時代の趨勢は過激な廃仏運動へと展開していく。これが廃仏毀釈である。多くの寺院や仏像が壊されたり海外に流出したりした。

(4)白山神社
 白山神社は全国に2,716社ある。加賀一ノ宮である石川県の白山比咩神社が総本社であると理解されるのが一般的であるが、福井県の平泉寺白山神社、岐阜県の白山長滝神社も本社を主張し多くの神社の勧請元となっている。都道府県別の神社数では岐阜県が514社、ついで福井県が247社、石川県は221社と一番少ない。岐阜県側の総本社というべき白山長滝神社の所在する郡上市白鳥町には白山中居神社もあり「白山信仰の町」としてPRしている。白山長滝神社に隣接し道の駅「白山文化の里」内には「白山文化博物館」もある。
白山神社のご神体は菊理愛媛神、神仏習合による本地仏は十一面観音である。楢童さんの氏神様も白山神社であり、神社の例祭には、ご神体の菊理媛神が垂迹でした白山妙理大権現と書いた幟を掲げる。
(5)明建神社
 長良川の減流域、郡上市大和町の「古今伝授の里フィールドミュージアム」に隣接し樹齢700年を超える鬱蒼としたスギに包まれた社叢がある。明建神社である。承久の変(1221)の戦功により、美濃の国郡上郡山田庄の新補地頭となった東氏とその一族が造営した神廟と伝わる。この東氏の子孫に古今伝授の始者として知られる東常縁(とうのつねより)が出るのである。東氏は「とう」とよみ、千葉介常胤の六男胤頼を始祖とする。
 千葉介常胤は、桓武平家坂東八平氏の一つに数えられる家柄で下総国に拠り源頼朝の挙兵に呼応し鎌倉幕府の重臣となった人物である。 胤頼の子重胤の子胤行は、承久の変(1221)の戦功により美濃国郡上郡山田庄の新補地頭に任ぜられた。胤行の子孫は代々二条流の和歌(古今調)を継承し、古今集の解釈の秘伝である「古今伝授」を行う家となる。胤行の二男行氏が美濃東氏の二代となり美濃に移った。行氏は、一族の遠藤氏・野田氏、家臣らとともに千葉一族の守護神である妙見菩薩を勧進し、妙見宮を造営したのである。
 妙見菩薩はもともと道教の神が仏教と習合して菩薩になったものである。道教では、北天にあって動かない北極星(北辰)を宇宙の全てを支配する最高神として崇め、北極星とその乗り物である北斗七星とを神格化し、『鎮宅霊符神(ちんたくれいふしん)』とした。千葉氏の祖平良文は、領地争いから兄の国香と戦い絶体絶命のピンチに妙見菩薩の化身が現れ勝つことができたため、以来妙見菩薩を一族の守り神とした。
ここはもともと千葉一族が造営した妙見宮であったが、明治の神仏分離令にあたり、妙見菩薩を「天御中主神(あめのみなかぬし)」に置き換え神社とし名称も同じ発音の「明建」としたが、本来の本尊は妙見菩薩である。

(6)習合思想を見直す
神仏分離令は、国家神道を列強の一神教に対抗する国家宗教とすべく明治政府が発したものであるが、これが廃仏毀釈を生み、わが国歴史上最大の悲劇である先の大戦を招く原因の一つとなった。
唯一神教は、モーゼに導かれエジプトを脱出したユダヤ人によって発展され、キリスト教やイスラム教を生み、現代宗教の最大勢力となった。現代文明はこの一神教社会に生まれ、世界各地にあった多神教は、原始的で未発達な宗教とされてきた。古くから世界中に普遍的に存在していた多神教は、住む土地の豊饒を願う定住的な宗教であるが、一方一神教は、信ずるものの心中や遠い天空に存在する神を信じる宗教であり場所にこだわらない。場所にこだわらず自由に移動できる宗教は、世界を自由に生きる国際人にとって好都合であるし、なるほど山川草木八百万の神は、自由と進歩の妨げになるかもしれない。
 だが、もはや人々が中原に覇を競い資源を奪い合う時代ではない。もはや地球は、土地も資源も有限な宇宙に浮かぶ小島である。いまや人類は、有限の地球をこよなく愛し、大自然に畏敬の念を持つ暮らしをしなければならない。かたくなにイスラムと闘うイスラエル。もとよりユダヤ教は、戦いが全てだといった教えではない。そのおかれた環境がそこに生きる人々の生きるための思想・哲学を生むのだ。旧約聖書に次の言葉がある。「ぶどうの取入れをするときは、後で摘みつくしてはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。あなたは、エジプトの国で奴隷であったことを思い起こしなさい。(申命記二十四・17-22)」 
宇宙の島国となった地球上で争い殺しあっているときではない。あらゆる宗教や考えを理解し習合しなければ人類の未来はない。原始的初歩的、原点に戻る必要がある。安田善憲さんは、一神教は復習の連鎖を生む、21世紀を生きる知恵はアミニズムと主張されている。畑の隅にある渋柿を干し柿にしようとすると母が「鳥が食べるから無理に柿を取らないで残してやりなさい。」という。申命記の「ぶどうを残せ。」という思いやりの心に似ている。人が争うことなく。動植物に、大自然に思いやる心を「習合思想国」・「アミニズム大国」日本から発信したいものである。

(参考文献)
①神仏習合(義江彰夫、岩波新書新青版、1996.7)
②日本人と神たち私たち(菅原信海、妙法院門跡、2003.11)
③日本宗教史(末木文美士、岩波新書新赤版1103、2006.4)
④入門白山信仰(内海邦彦、批評社、1992.5)
⑤日本人の宗教「神と仏」を読む(黒塚信一郎、かんき出版、2005.6)
⑥日本仏教と神祇信仰(菅原信海、春秋社、2007.10)
⑦一神教の闇(安田善憲、ちくま新書、2006.10)



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ショウジョウバカマが咲きました

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2016.4.9白尾自然園にショウジョウバカマが咲きました。

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エンレイソウ

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白尾自然園にエンレイソウが咲きました。実生で育てた株です。

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プロフィール

sanchibunka

Author:sanchibunka
長良川源流域にある先祖伝来の山林・田畑・家屋敷を「白尾自然園」と名付け、山の暮らしを体験しながら「山地文化」を研究しています。左近衛(さこんのえ)を名乗ったり楢童(しゅうどう)と号したりします。

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